言語造形人間学 恵の矢、いただきました!
今日も音楽療法士の養成クラスへ言語造形のワークショップに行ってまいりました。
今日は心を揺さぶられるような生徒さんがいました。
お顔がスッキリ!
生徒さんと言っても、わたしよりも年上の方ですが、
劇的な変化を遂げ、教室に入った時、あれ、お顔まで違うと思いました。
あ、これは変化なさったのかなと思っていましたが、
わたしの予想をはるかに超えるものでした。
大人が自分に向き合って、自分を乗り越えていく姿はすごい迫力なんです。
心揺さぶられ、生きる力を与えてもらえます。
なかなかそういう機会はありませんが、今日がその日でした。
個と全体での練習文、そして講義の三部構成
毎月1回、二時間半(といってもよく延長しました。
かみの〇クリニックの山〇先生が私の次のコマでよくお待ちいただいて、すみませんでした)
10名を超える生徒さんという言語造形にしては大所帯の講座のなかで、
どれだけお一人ずつにアプローチできるのか。
全体と個と講義も行い、二時間半と言っても、5時間分くらいあったのかもしれません。
自分の解放のための「ふざけんじゃねえ」
その方にお会いした一度目、わたしはその方が
とても自分を抑えていらっしゃるので、
「ふざんけんじゃねえ」と言って、振り払う動作をするように、
レッスンの最中に指導しました。
もちろん他のレッスンもしましたが、
途中で、理由を告げて、そう指導いたしました。
とても嫌なことだったと思います。
1回目の小話テーマ
この日は1分の制限時間のなかで、
ご自分の名前について述べるというレッスンもしました。
1分でも相当いろいろなことが話せます。ただ一つの事柄に絞った方がいいです。
自分道場はもうやめましょう
そして二回目の講座では、まじめにご自分と取り組むその方に、
「もう自分道場はやめにしましょう」と告げたのです。
音楽がうまくなることを真摯に目指していらして、
でもそれはご自分のため、ご自分にとどまっていたからです。
「ふざけんじゃねえ」ではなく「ぺっ」と吐き捨てるように言うように指導しました。
この方はもう十分にご自分と向き合ってきたから、もうそれを他の人に開いて、
他の人のために使うことで、さらにご自分が豊かになるところにいらしていたのでした。
矛盾するようですが、同時に自分を抑え、我慢する癖がついているようだったので、「ふざけんじゃねえ」「ぺっ!」だったのです。
2回目の小話のテーマ
この日は2分で、今までに体験した音楽療法の授業で印象的だったものを
2分で話すレッスンをしました。
どんなレッスンかの説明(体的側面)
自分が何を感じたのか(魂的側面)
そのレッスンの価値や意味(霊的側面)
この3つが入っているといいですねとお話ししておきました。
2分という短い時間のなかですが、お一人ずつ、その人が現れ出ていました。
3回目の小話のテーマ
そして今日、3回目にしてラストの講座では、3分で「印象的だった授業について述べ、
それをもとに音楽療法士とはどんな職業なのかを述べ、
自分はどんな療法士になりたいか」を述べるレッスンをしました。
その人はこう始めたのです。
「矢の役割は何でしょう?」
あ、ひょっとして、わたしのこと?と思いました。
「矢の目的は、目標物を射抜くことにあります。
射抜かれたものは、時に、粉々に砕かれます」
ここまで聞いて、「すみませんでした!」と謝りました。
「私は小野恵美先生の授業で、まさにこの体験をしました」
でもこの人が恨みを述べているわけではないことは、
立ち姿からも、声の様子からもわかります。
声の質は何を述べるかで、同じ人でも随分違ってきます。
努力してきた根底にあったのは、自分の成長であり、
決して終わることのない自己否定だったのだ。
そしてそれが砕かれたということを体験し、ことばにしてくれました。
健全な自分賛歌が、人を他者へ向ける
「もう自分道場はやめる! わたしは50年どころか、
60年近く生きてきたんだ! ふざけんじゃねえ!
人にどう言われようと人より劣っているところがあろうと、
一生懸命生きてきた! いっぱいいいこともした。いっぱいいいところもある。
できないことがあったっていい。できないところは人に助けて貰えばいい!
自分中心はもうやめる。人のために生きよう」
まさに自分を否定してきた部分、
そしてだからこそ自分をよくしようとすることで、
実は自分にこだわり続けていた点。
これをご理解したことが、しっかりと自分の言葉で伝わってきました。
話し方も、シャイなこの方の普段の話し方とは全く違っていました。
人ってこんなに変われるんだと、養成の同じクラスのみなさんも驚かれたと思います。
しっかりとつま先まで意識がいったように地面の上に立ち、堂々と述べたのです。
言葉は恵の矢として、みんなに届いたと思います。
なによりも私に届きました。嬉しかった。
私が教えたことがうれしいのではなく、そういう現場に立ち会えて、
すごい言葉に出会えたことが嬉しかったです。
言葉は贈り物、賄賂でもないし、愚痴でもないし、自慢でもない
言葉は自分自身を贈り物にすることだと、レッスンでは教えています。
なかなか難しいことですが。
ウィンウィンの関係とよく言いますが、
それだと贈り物ではなく、賄賂になるんですよね。
写真は今日の板書です。
言葉で感動するって、なかなかないんです、
考えすぎていたり、かっこつけていたり、
自分の心が動いた以上のことをついつい語ってしまったり、難しいものです。
でも話している人をジッとジッと聞いていると、
その人が服を脱いでいるよりも素っ裸に現れています。
そんななか、人は言葉を通して、裸と裸の付き合いをしてるんですよね。
俺は/私は 人を見てる
と思っている人は、そんな自分もまた見られているんですよね。
そんなこと、忘れるくらい、
必死になったとき、ぐわんと胸があたたかくなるような言葉が出てくるんですよね。
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