人生には、
いろんな時期が
あると思うんですね。

10年、ヨーロッパに住んで、
学んで、働き
そして
日本に帰ってきたわけですけれども
この時期は
面白いこともあったし、
今の私があるのは、
この時期のおかげ。
そう考えると、
人生のすべての時期があるから
今の私がいる。
そう思えます。
この時期に話を戻すと、
それでもって
そのころは
日本がとても遠かったんです。
ドイツ語は
いくらできたとしても、
母語のようにはならないんですよね。
気持ちの問題だったり、
何を仕事にしているかで
違うんでしょうけれど、
私は言語造形で
言葉を仕事にしているので、
言葉のちょっとしたことが
大きな意味を持っていました。
ドイツ語だと
どこが違うかっていいますと、
私にとっては、ですが、
大きく言って
二つありました。
一つ目は
知らないと
平気で言えないってことです。
「へえ~、その単語しらないな」
と、平気な気持ちでは
言えない。
日本語なら
「その漢字、知らない」
と平気で思えます。
調べたり、
人に聞けばいいだけです。
でもね、
そうは思えなかったんです。
自分が根を張りきれなかったんでしょうね。
これは私には
大きな心理的な負荷でした。
二つ目は
小耳にはさむとか、
ちょっと耳にした、とか
それができなかった。
母語の日本語だと、
耳から、目に見えない網のようなものが
空間にのびていってるようなところがあって、
いろいろ小耳にはさめますよね。
でも、ヨーロッパにいる間は
ちゃんとまっすぐに会話しないと、
わからなかった。
テーブルに
6人8人で座っているとき、
自分が今、話している人の話しか、
わからなかったのです。
日本語ならこういうとき、
小耳にはさむってことが
できるんですよね。
ふっと
隣の人たちの話も
耳に入って、
「あ、それ、教えてくださ~い」
とか、言えます。
ドイツ語では
できなかったんです。
このような負荷がかかっている中での、
10年間、言語造形を学び、
ハンガリーで教えたんですが
いろいろなことがありました。
大変なこともありましたけれど
面白かったですし、
楽しかったです。
最後の数年間、
そして
日本に帰国してからの数年間、
私はずっと
ひとつの詩を
書きたいと思っていました。
ひとつのドイツ語の語が
ずっと
私の中にあったのです。
若いときって、
過ぎてみると、
眩しいですが、
その時は
自分を持て余し
恥ずかしいほど、
視野が狭いもんですよね。
でも、
美しい。
続きはまた次回。
素敵な一日になりますように。
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